【カードゲーム論】私の脳内②
今回は
②なぜ"受け"寄りの構築ばかり使うのか
について語ります。
まず人間という生き物という時点でからです。人間というものは、余裕のある状況よりも極限状態の方が集中力が高くなる生き物であると言われています。
カードゲームや対戦ゲームにおいて極限状態に近いのは自分が優勢よりも劣勢の時であると思っています。
私は昔から受け構築を使ってきた為、その集中力の差が自分が攻めている時と雲泥の差である事に自分自身で自覚しているため敢えて自分が考えなければならないような状態の方が集中できるわけです。これが理由の一つ。
さて二つ目の理由ですが、ここで自分語コーナーです。見る価値ほぼないですが書いていきます。
私は大会に出ないような小中学生時代は、カッコイイドラゴンや生き物が多いデッキや当時放映していた遊戯王5Dsのキャラクター十六夜アキちゃんの見た目植物テーマが大好きな極普通の子供であったと友人から聞かされています。(訳あって小学校時代を覚えていません、すみません。)
しかし、転機が訪れたのは中学2年生の頃です。
実家が田舎だった事もあり、それまでの対戦環境は細々といた友人とのタイマンで、子供特有のガバガバ構築ばかりでした。
そこで中学2年の時、まさかの店舗での遊戯王の(非公認でしたが)大会が毎週開かれることになりました。
そこで私は初めて、ガチガチの構築というものを思い知らされました。大人の強さです。
それでも前回説明の通り勝たなければ価値がないと考える人間なもので、少ない金銭で組めるデッキをいくつか試しました。
そしてとある日、奇跡の巡り合わせのようなデッキが発売し、入荷したのです。
それが、『英語版 Structure Deck マリク』
です。
このデッキには、長きに渡って使われていく私の遊戯王エースデッキ「墓守」というテーマが多く収録されており、当時フィールド魔法を使ってみたいと思っていた私にはうってつけのデッキでした。
簡単に説明すると墓地封殺したりハンデスしたりしつつ、罠で受けきって削る構築です。
このデッキを2個買い、当日に組み替えて持っているカードも入れて大会に臨んだ結果
優勝しました
私の友人も、そして何より私自身が唖然としていました。
確かに当時ならパワーのある構築ではありました。それでも当時は負けが込んで心が少し抉られていて大人の思考力にまだ及んでいない、私にはまだ考える力がないと思っていた頃でした。
そう、その構築こそが私自身が現在でも最も扱いがうまいとされる構築である『受け構築』
だったのです。
デッキをトラップ多めの構築にした結果、自分が思っていた以上にこの時点での伏せるべきカード、受けで使うべき札が脳の中で処理できることに気が付きました。
帰宅後、私はこのデッキを更に詰めてみようと必死で考えました。
次の週から、墓守を使った時の友達との間ではほとんど負けなくなってきました。大会での上位も常連になるくらいにはプレイングの質も明らかに上達していました。
それから数年間、私は自分の受ける事の才能に気づき、磨いてきました。
自分語終了です。
つまりは才能ですね、自分は生まれて来た時点で、攻めるような構築より受けに回るような構築にした方が圧倒的に才能があり、勝ちやすい。というわけです。
才能はやはり地力に直結する点である為、他のカードゲーマーさん達も本気で勝ちたいのならば自分がどちらの方が強い考えを持っているのか、大事にしてみるのもよいかもしれないですね。
まぁ、私には真に才能がないから殆どのゲームで結果残してないんだけどね……
さてここまでタラタラと書いてきましたが、これが最後の理由になるのですがぶっちゃけこの一言で解決してしまうんです。
自分の性格のねじ曲がりを自覚できる魔法の言葉
それを最後にして今回の駄文を閉めようと思います。
『相手が何もできなくなって苦しみながら投了する方が勝って気持ちいいじゃん!』
以上。
次回はデッキ構築について、です。